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東京地方裁判所 平成9年(ワ)27955号 判決

原告 A

右訴訟代理人弁護士 久保英幸

清水亜紀子

被告 学校法人順天堂

右代表者理事 石井昌三

右訴訟代理人弁護士 手塚一男

右訴訟復代理人弁護士 村田真一

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告に対し、金二五五五万円及びこれに対する平成九年三月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、原告が、被告の開設する順天堂大学医学部附属順天堂医院(以下「被告病院」という。)において乳房内異物除去手術を受けたところ、右乳房に醜状痕が残ったことにつき、担当医師が手術に関し十分な説明を行わなかったことにより原告の手術に関する選択権を侵害し、また、右手術の際完全に止血を行わなかった過失があると主張して、被告に対し、診療契約上の債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償を請求する事案である。

一  争いのない事実等(証拠を摘示した部分以外は争いがない。)

1  原告は、昭和二一年九月三〇日生まれの女性であり、昭和五一年ころ、茨城県内の病院において、右胸部の乳腺症のため手術を受けたが、手術後右乳房に陥凹変形を生じたので、右手術の約半年後、両側胸部にシリコン樣の樹脂を注入する手術を受けた(乙一、二)。

2  診療契約の締結

原告は、平成八年一〇月一四日、被告病院形成外科外来を受診し、担当の梁井皎教授及び白澤友裕医師と相談の上、胸部に注入した樹脂(異物)の除去を内容とする両側乳房異物摘出手術(以下「本件手術」という。)の申込みをして、被告との間で診療契約を締結した。

3  平成九年二月二〇日、原告は、本件手術のため被告病院に入院し、CT、MRIなどの各種検査を受け、同月二六日、担当の瀬野久和医師、白渾医師、今沢隆医師から手術前の説明を受けた。医師らのした説明は、撮影したMRIの結果によると異物と組織の癒着が明らかには認められないため、手術は両乳房下縁をそれぞれ約一〇センチメートル切開する方法によること、手術痕を目立たないものとするため細い糸で縫合すること、術後約一週間で退院が見込まれることなどであった(乙三)。

本件手術の前日である同月二七日夕方、白澤医師は、原告の両乳房下側に切開予定箇所をデルマークペンでマークして、切開の部位を説明した。

4  本件手術の実施と再手術

(一) 同月二八日午前九時一二分ころから、瀬野医師の執刀により、本件手術が実施された。手術時間は約二時間三分であった(乙二)。

(二) 術後、原告からナースコールがあり、原告の左胸部に術後出血が疑われたため、直ちに再手術が行われることになり、被告病院の医師が原告夫から再手術の承諾を得た。

同日午後二時五〇分ころから、瀬野医師の執刀により再手術が行われ、左胸部の縫合部を再度開き、止血術を行った。手術時間は約四〇分であった(乙一、二)。

5  術後の経過

(一) 同年三月三日夕方、白澤医師は、原告の夫及び長女に対し、「右胸部が癒着していたので上の方も切りました。」と告げた。

(二) 原告は、同年五月三一日、被告病院を退院した。

二  争点

1  説明義務違反による選択権侵害の有無

(原告の主張)

(一) 本件手術は、通常の医療行為とは異なり乳房の外観に不可逆的変化をもたらす可能性のある形成外科手術であるから、手術を受けるかどうかの選択権は患者自身にある。したがって、本件手術を行う際には、医師らは結果がどのようになるか、その結果についてどのような可能性が考えられるのか、その確率はどの程度か等を事前に患者に十分に説明する義務がある。

原告は、手術前日、被告病院の医師から手術による切開部位の説明を受け、それ以外の箇所を切開することがない旨を確認の上手術を受けたが、被告病院の医師は切開予定箇所としてマークした部分以外の部位(右乳房上部)を切開し、原告の胸部に醜状痕を残した。原告には、手術をするか否か、どの部位を切開し、どの部位を切開しないかの選択の自由があり、右醜状痕が残るのであれば、右部位の切開を拒んだはずであったが、被告病院の医師らは、手術方法につき誤った説明をして原告の手術に関する選択権を侵害した過失がある。

(二) MRIの結果等から、異物と組織の癒着が明らかには認められなかったとしても、癒着の不存在が確実に明らかにならない以上(甲一〇)、被告病院の医師は、仮に癒着が存在した場合にその部位の異物を摘出する可能性があること、その場合には乳房の形が不整形になるおそれがあることを事前に患者に説明する義務があるところ、これを怠った過失がある。右説明があれば、原告は本件手術を承諾しなかったのであって、これがないため本件手術を受けたことにより、原告は右乳輪下部にひきつれ様の不整形な醜状が残った。

(被告の主張)

(一) 被告病院の医師は、場合によっては異物を一塊として取り出すために、他の部位を切開することもある旨を説明しているから、原告の手術に関する選択権を侵害したとはいえない。また、右乳房上部の創については、十分に整容的な手技で処置しており、異物を確実に摘出することを目的とする手術の過程で生じたやむを得ない手術痕である。

(二) 原告は、訴状の段階から一貫して切開予定部位以外の右乳房上部の傷痕を問題にしてたのに、証拠調べ後に突然右側乳輪下部のひきつれ部分を醜状痕と主張するに至った。原告が新たに問題にするひきつれは、手術後の凹凸又は乳輪の下降によるものであるが、被告病院の医師は、術前原告に対し、本件手術後胸部に凹凸ができること、術後胸が平らになり乳輪の位置が下がること等を説明しているのであるから、被告に説明義務違反はない。

また、そもそも、異物と組織が癒着していたため異物を皮膚の一部とともに摘出した部位は、右乳房上部であり、原告が問題とする右乳輪下部ではないから、右乳輪下部の状態は、原告主張の癒着に関する説明義務違反とは無関係である。

2  止血に関する過失の有無

(原告の主張)

被告病院の医師らは、完全な止血をすることなく本件手術を終了し、かつ術後の観察を怠った過失がある。

(一) 外科的手術に当たっては止血を十分に確認すべきところ、本件では術後出血が生じているから、縫合前に止血点の確認が十分に為されたかどうか疑問があり、被告病院の医師らの止血ミスは明らかである。

(二) 術後観察を適切に行っていれば、医師・看護婦ら病院側が患者の異常に気づいて処置を行うことができたはずであるのに、本件では、病院側が能動的に患者の異常に気づいてその後の処置を行った形跡が全くなく、原告が一命をとりとめたのは、原告自身がナースコールを押したという偶然によるものである。また、被告は、再手術の際ヘスパンダーを使用しているが、これは輸血の際に自己血がない場合などに緊急に用いられる代用血漿であり、大出血の場合に用いられる薬品であるから、原告の出血の程度が大きかったことが分かる。

(被告の主張)

(一) 被告病院の医師は、本件手術の際、止血を確認してから創を閉じており、この点に過失はない。止血を確認しても、術中血管が圧迫されるなどしてれん縮し、術後れん縮が取れることにより出血することがある。

(二) 被告は、原告を病室に戻した後、再手術のために手術室に向かうまでの約二時間の間に少なくとも四回病室を訪れ、原告の術後の様子を観察するとともに原告の血圧を測っており、その際の血圧はいずれも原告が危険な状態にあったことを示すものではなかったこと、左胸部の腫れを確認後速やかに再手術を行っていることから、術後の観察に不十分な点はない。

また、ヘスパンダーは、比較的出血の多い場合に使用される代用血漿であるが、大量の出血がある重篤な状態にある患者に対しては、ヘスパンダーではなく輸血がされるのが通常であり、出血が大量でなくても慎重を期してヘスパンダーを用いることはよくあることであるから、ヘスパンダーの使用をもって原告が重篤な状態にあったということはできない。

3  損害

(原告の主張)

(一) 慰謝料(二一五〇万円)

(1)  原告は、本件手術により、自ら切開に同意していなかった右乳房上部から乳輪に至るまで、治癒しない醜状痕が残り、また皮下組織を癒着した異物とともに摘出したことにより、右乳輪下部にひきつれ様の不整形な醜状が残った。これによる原告の女性としての精神的打撃は筆舌に尽くしがたいものがあり、その精神的打撃を慰謝するためには九三〇万円が相当である。

(2)  原告は、術後、医師による適正な観察を受けなかったため、出血により死の危機にさらされ、自らの死をかいま見た。そして、原告は、本件手術後七日間で退院予定であったところ、平成九年五月三一日まで被告病院に入院することを余儀なくされ、完治しないまま退院した。これらの精神的打撃を慰謝するためには二二〇万円が相当である。

(3)  原告は、胸部手術に優れた評価と権威のある被告病院を選択し、同病院及びその医師らを信頼していたが、説明のない部位の切開、止血の不十分、事後の説明の欠如等によって、その信頼を全面的に裏切られた。これによる精神的損害を慰謝するためには一〇〇〇万円が相当である。

(二) 休業損害(二〇〇万円)

原告は、順調にいけば術後約一週間で退院が見込まれたところ、前記の次第で入院期間が更に三か月長引いたことにより、右期間中主婦として家事労働に従事することができず、二〇〇万円の損害を被った。

(三) 再建手術等の費用(二〇五万円)

原告は、本件手術による傷を診断するため北里大学病院に入院し、五万円の医療費を支払った。また、傷痕及び乳房を再建するための手術費として二〇〇万円が見込まれている。

第三  当裁判所の判断

一  争点1(説明義務違反による選択権侵害の有無)について

1  前示争いのない事実等に、証拠(甲二ないし四、一〇、一九、二〇、二一の1ないし16、二四、二六の1ないし3、二七の1、2、二八、乙一ないし五、証人瀬野久和、同白澤友裕、原告本人)及び弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

(一) 診療契約の締結

原告は、平成八年一〇月一四日、被告病院形成外科で受診した。

そして、診察に当たった医師に対して、原告は、約二〇年前(昭和五一年ころ)右乳腺症のため茨城県内の病院で二回手術を受けたが、術後右乳房に陥凹変形が生じたため、右手術の約半年後に、東京の美容外科で両側胸部にシリコンと思われる樹脂を注入する手術を受けたところ、その後両側乳房に硬結を認めるようになり異物が気になったこと、原告には胃癌の手術歴があったため乳房部の変形と共に乳癌の発生を心配し、乳癌の検査を受けるには異物を除去する必要があったことから、被告病院を受診するに至ったことを話した。

被告病院の梁井教授及び白澤医師が、乳房皮下の異物であり摘出を希望するのであれば入院手術が必要であること、乳輪・乳頭は残すことができることなどを説明したところ、原告は、両側乳房内の異物を摘出する手術(本件手術)を申し込み、被告との間で本件手術に関する診療契約を締結した。

(二) 本件手術までの経緯

(1)  原告は、平成九年二月二〇日、本件手術のため被告病院に入院した。

原告の診療には、被告病院の瀬野医師、白澤医師、今沢医師がグループを組んで当たることとなった。

(2)  同月二四日には超音波検査、同月二六日には胸部CT検査及びMRI検査が施行されたが、いずれも、両側乳房に異物が認められるものの悪性を疑わせる所見はなかった。また、右CT及びMRIの画像上、異物と組織の癒着は明らかには認められなかった。触診による所見では、両側乳房部に直径約一〇センチメートルの硬結が認められたが、異物と皮膚の間の可動性は良好であった。

瀬野医師らは、右検査結果を踏まえた上、異物を細分すると異物の一部が体内に残存するおそれがあること、注入物が液体の場合、異物を破壊することにより液体が流出するおそれがあることから、異物を破壊せずに一塊として取り出す方針を決定した。また、手術痕をできるだけ目立たないようにするために、乳房下縁部を切開部位とすることとした。

(3)  同月二六日、瀬野、今沢両医師が同席の上、主として白澤医師から原告及びその夫に対し、本件手術についての説明をした。

白澤医師は、CT画像を示しながら、手術では両側の乳房の異物を摘出すること、MRI及びCTの結果によると、異物と組織の癒着を窺わせるような所見は画像上明らかには認められないため、手術では両側乳房下縁を約一〇センチメートル切開し、異物を一塊として取り出す予定であること、手術痕をできるだけ目立たないものとするため細い糸を使用する予定であること、手術後胸部に多少凹凸ができると予想されること、手術後胸は平らになり乳輪の位置は下がると思われること、手術後ドレーン(血液など浸出液を抜くための管)を挿入するため、小さな傷が残ることがあること、術後約一週間で退院が見込まれることを説明した。

以上の説明の後、原告側から、乳輪、乳頭を切除するのかとの質問があったが、白澤医師は、乳輪、乳頭は残すことができると答えた。また、原告の夫から、切開線をもっと短くして、中の異物をばらばらにして吸い出すようなやり方はとれないのかとの質問もあったが、同医師は、異物を一塊として取り出すのが相当と判断されるため、それはできない旨答えた。

右の説明を受けた原告は、右説明どおりに本件手術を受けることに同意し、被告病院に対し手術承諾書を差し入れた。

なお、白澤医師は、このときまでに、乳房再建に関する一般的な説明もしたが、原告から再建の希望は出なかった。

(4)  同月二七日夕方、原告は、手術を受けることに不安があったため、担当の白澤医師を訪ね、切開部位の長さをもう少し短くすることはできないかを相談したところ、同医師は、「できるだけそうしたいが、これくらいにはなりそうです。」と言って、原告の両乳房下側にデルマークペンで約一〇センチメートルの予定切開線をマークし、さらに、場合によっては異物を一塊として取り出すために、他の部位を切開することもある旨を説明した。

これに対し、原告は、「切開部を小さくして、中の異物を粉々にくだいて吸い取るようなことはできませんか。」と聞いたが、同医師は、それでは異物を撒き散らすことになり、異物を一塊として取り出すという手術目的に反するためできない旨答えた。

(三) 本件手術の実施

(1)  同月二八日午前九時一二分ころから、瀬野医師の執刀により本件手術が施行された。

まず、仰臥位で両乳房下縁に約八センチメートルの切開線を引き、三倍に希釈した一パーセントキシロカインEを注射した上、右乳房から切開線に沿って皮膚切開を行った。注入異物は、皮膚直下から大胸筋直上まで腫瘤状に存在しており、これを一塊として摘出しようとしたが、右乳房上部に一部皮膚の直下で癒着の強いところがあったため、これを剥離するときに注入物内部に切り込まないように注意しながら皮膚を長さ約四、五センチメートル、最大幅約五ミリメートルほどの紡錘状に一部表皮の部分まで切開した(切開部位は、右乳輪内側縁から正中側、頭側へ斜めに上がる長さ約四センチメートルの部分。)。異物摘出後、創内部を洗浄水で洗い、そこに白いガーゼを詰めて、ガーゼに血液がつかない状態になったことを確認することにより止血を確認した上で、ドレーンを一本留置し、皮膚切開部二か所を縫合した。左乳房も同様に乳房下縁を切開線に沿って切開し、異物を一塊として摘出した後、止血を確認し、ドレーンを一本留置して皮膚切開部一か所を縫合した。手術時間は約二時間三分であった。摘出物は、両側ともに約一八〇グラム(約七×六×六センチメートル)であった(なお、甲二八には、「左乳輪外側に目立ちにくいが上下方向に約4cmの手術瘢痕が見られる。」との記載があるが、乙二中の手術記録、乙三、五(手術直後の原告胸部写真)、証人瀬野に照らすと、本件手術により右瘢痕が生じたとは認められない。)。

(2)  術後、原告は、覚醒室で約一時間創部の腫れや止血の有無など全身状態の点検を受けたが、創部からの出血はなく、他に異常な点が認められなかったため、午後零時四〇分ころ帰室した。

(四) 再手術の実施

(1)  同日午後一時二五分ころ、原告は、左胸部に刺すような痛みを感じたためナースコールをし、看護婦が痛み止めの座薬を投与した。その後、原告から再びナースコールがあり、左前胸部の腫れ、呼吸苦の訴えがあったので、看護婦から依頼を受けた西田医師が診察に当たったところ、術後出血が疑われたため、直ちに再手術を行う必要が生じた。

なお、手術室から帰室後再手術までの間、看護婦が原告の血圧を四回測定したところ、その値は、一〇八/六六、一一〇/七四、一〇四/六〇、一〇四/六二であった。

(2)  手術室の前で、瀬野医師から原告の夫に対し、手術終了時には止血され問題なかったが、おそらく動脈より少しずつ出血して、剥離した皮膚の下にたまっていると思われる、全身麻酔をして、縫った部分をもう一度開けて止血した方がよい、手術時間は三〇分程度であるとの説明がされ、同人は「よろしくお願いします。」と再手術に同意した。

(3)  同日午後二時五〇分ころから、瀬野医師の執刀により再手術が行われた。

左胸部の縫合部を開創したところ、約三四〇グラムの血腫があり、異物摘出後の内腔を確認すると、左鎖骨付近に動脈性の拍動のある出血点を認めたため、これを電気凝固にて止血した。内部を洗浄後、止血を確認して創を縫合した。ドレーンは有効であることを確認して留置した。手術時間は約四〇分であった。

なお、瀬野医師は、右の際、代用血漿であるヘスパンダーを使用している。これは循環血液量を保つために使用したものであるが、大出血があったために使用したわけではない(したがって、その使用の事実から、被告側の止血ミスを推認することはできない。)。

(4)  手術後、瀬野医師から原告の夫に対し、「手術創は胸の下の部分ですが、出血していた動脈は左鎖骨付近の血管でした。一回目の手術中には出血が認められませんでしたが、二回目の手術で出血部位が分かったので止血しました。中にたまっていた血液は四〇〇ミリリットルくらいで、一回目の一〇〇ミリリットルくらいと合わせても五〇〇ミリリットルくらいなので、輸血はしなくてもよいと思います。また、明日以降血液データにて貧血があるようであれば、輸血も考えなければいけませんが、九〇パーセントはしなくてよいでしょう。」と説明したところ、同人は「分かりました。ありがとうございました。」と答えた。

(五) 術後の経過

(1)  手術の翌日である同年三月一日の回診では、創部に問題はなく、同月二日の回診では浸出量の減少が見られたので、ドレーンが抜去された。

(2)  同月三日、白澤医師から原告に対し、右胸部が癒着していたので、右乳房の上の方も切開したとの説明がされた。

(3)  同月四日、瀬野医師、白澤医師及び今沢医師から原告及びその長女に対し、これまでの診療の経過について説明した。

原告から、右側の乳房下部の切開の他に、内側にも切開があるのはなぜかとの質問があり、瀬野医師らは、右胸部に手術前には確認できなかった癒着が術中に認められたこと、皮膚との癒着が強く、注入異物を一塊として摘出するためには、皮膚に切開を行い、皮膚の一部と一緒に摘出する必要があったこと、そのために皮膚を縫合した箇所があることを説明した。左側の出血はなぜ起こったのかとの原告の長女からの質問に対し、瀬野医師らは、手術の際に止血は確認したが、手術中何らかの原因で血管が圧迫されていて出血しないことがあること(これを血管のれん縮という。)、このれん縮が取れて時間が経ってから出血したこともありうることから、その旨を説明した。

2  原告本人は、白澤医師から、異物を一塊として取り出すために他の部位を切開することもある旨の説明を受けたことはない旨供述し、同人の陳述書(甲二〇)にも同様に記載があるが、乙二(診療録)の同年二月二七日の欄の記載及び証人白澤の証言(陳述書の記載も含む。)に照らし、原告の右供述及び陳述書の記載内容は採用できない。原告は、乙二の記載が後日不実に書き加えられた疑いがあり、信用すべきでない旨主張する。たしかに、右記載は一部が診療録の用紙の欄外にはみ出して書かれていることが認められるが、乙二中には同様に欄外にはみ出した記載が複数箇所認められること(一二頁左下、一三頁右下、二一頁左下、二二頁左下、三七頁左下、四四頁左下、四六頁左下等)、当該記載の上部には二月二七日中の別の記載があり、同日分の出来事を続けて用紙欄外にはみ出して記載することが特に不自然とまではいえないこと、他に当該記載が事後に加筆されたと認めるに足りる証拠がないことに照らして、右の主張は採用できない。

また、原告は、医師が「血圧五〇。」「このままでは危険だ。」などと発言した旨主張し、原告本人もこれに沿う供述をするが、看護婦が原告の血圧を四回測定し、その値は、一〇四/六六、一一〇/七四、一〇四/六〇、一〇四/六二であったことは前示認定のとおりであるから、右主張は採用できない。

3  診療行為にあたる医師は、緊急を要し時間的余裕がない等の特段の事情がない限り、患者が当該診療行為を受けるかどうかを自己の判断において決定するために必要な事項につき、具体的に説明すべき義務がある。特に、本件手術のように女性の外貌に大きな変化を生ずることが予想される場合には、医師は、当該手術により残る可能性のある傷痕の有無・程度や予想される外貌の変化について説明する義務があるというべきである。

これを本件についてみるに、前示認定のとおり、被告病院の医師らは、原告に対し、手術では両側の乳房の異物を摘出することとし、MRI及びCTの結果からは、異物と組織の癒着を窺わせるような所見は画像上明らかには認められなかったため、手術では両側乳房下縁を約一〇センチメートル切開し、異物を一塊として取り出す予定である旨本件手術内容及び方針を説明し、本件手術による傷痕の有無・程度や予想される外貌の変化についても、手術痕をできるだけ目立たないものとするため細い糸を使用する予定であること、手術後胸部に多少凹凸ができると予想されること、手術後胸は平らになり乳輪の位置は下がると思われること、手術後ドレーンを挿入するため、小さな傷が残ることがあること、乳輪、乳頭は残すことができること、場合によっては異物を一塊として取り出すために、他の部位を切開することもあることを説明したのであるから、前記説明義務を怠ったとはいえない。

4  原告は、被告病院の医師が手術による切開予定部位を確認し、それ以外の箇所を切開することがない旨誤った説明をして原告の手術に関する選択権を侵害した過失がある旨主張するが、前示のとおり、白澤医師は、場合によっては異物を一塊として取り出すために、他の部位を切開することもあることを説明したことが認められるから、原告の右主張は採用できない。

5  また、原告は、MRIの結果等から、異物と組織の癒着が明らかには認められなかったとしても、癒着の不存在が確実に明らかにならない以上、被告病院の医師は、仮に癒着が存在した場合にどの部位を切開する可能性があるか、その場合に予想される手術痕及び乳房の形の変化についても手術前に患者に説明する義務があるところ、これを怠った過失がある旨主張する。

しかしながら、前示認定のとおり、MRI及びCT画像上、異物と組織の癒着は明らかには認められず、触診による所見では異物と皮膚の間の可動性が良好であったことからすれば、被告病院の医師らは、仮に癒着があった場合の手術部位等についてまで説明する義務を負うものではないと解するのが相当である。もっとも、手術中に癒着が発見され、その切開創が術前予想される程度を著しく逸脱する場合には、患者の承諾なしに手術を遂行すること自体の当否が問題となりうることも否定できないけれども、前示認定の説明内容と癒着の部位程度に証拠(証人瀬野)を併せ考慮すると、本件がこのような場合に該当するとは認め難い。

なお、右乳頭下の陥凹状の手術痕は、原告が本人尋問後に問題とするに至ったものであるが、その位置・形状、本件手術の方法等に照らせば、右乳房上部の癒着部分の切開により生じたものではなく、皮下の異物を摘出するという手術の性質上生じたやむを得ない陥凹であると認められるから、癒着に関する説明義務違反により右乳輪下部にひきつれ様の不整形な醜状を負ったとの原告の主張は、そもそもその前提を欠き失当というべきである(しかのみならず、前示認定のとおり、被告病院の医師らは、手術後胸部に多少凹凸ができると予想されること、胸は平らになり乳輪の位置は下がると思われることを説明しているのであるから、右手術結果についての説明に欠けるところがあったともいえない。)。

6  したがって、説明義務違反による選択権侵害の主張はいずれも理由がない。

二  争点2(手術の際の止血に関する過失)について

1  原告の左胸部に術後出血があったことは前示のとおりであるけれども、右出血部位は本件手術部位からやや離れた左鎖骨付近であったこと、手術の際に止血が確認されても、手術中何らかの原因による血管の圧迫により生じた血管のれん縮が取れて、時間が経ってから出血することもありうることに照らせば、右出血自体から止血措置が不十分であったと速断することはできない。しかして、前示認定の事実によれば、被告病院の医師は、異物摘出後、創内部を洗浄水で洗い、そこに白いガーゼを詰めて、ガーゼに血液がつかない状態になったことを確認することにより止血を確認し、必要な処置をした上で手術を終了したこと、術後出血が疑われた後も直ちに適切な止血処置を執ったのであるから、被告病院の医師に原告の主張する止血上の注意義務違反があったとは認められない。

2  原告は、原告が一命を取りとめたのは、原告自身がナースコールを押すという偶然によるものであって、被告病院が術後観察を適切に行わずに原告の生命を危殆に瀕せしめた旨主張する。しかしながら、手術室から帰室後再手術までの間、看護婦が原告の血圧を四回測定したこと、術後出血が疑われた後直ちに止血処置が執られたことは前示認定のとおりであるところ、他に被告病院が経過観察を怠っていたと認めうる根拠はない。また、手術部位からの出血という事柄の性質上、患者の主体的な訴えをまって初めて発見できるという面があり、医師や看護婦の側でその症状を察知することは容易ではないから、原告がナースコールを押したことが出血の発見のきっかけになったとしても、そのことから直ちに被告病院の術後観察が不適切であったと認めることはできない。

また、原告は、原告の術後出血につき原告及びその家族に早期に適切な説明をすべきところ、被告病院の医師はこれを怠った旨主張する。しかしながら、前示認定のとおり、再手術後、瀬野医師から原告の夫に対し、「手術創は胸の下の部分ですが、出血していた動脈は左鎖骨付近の血管でした。一回目の手術中には出血が認められませんでしたが、二回目の手術で出血部位が分かったので止血しました。中にたまっていた血液は四〇〇ミリリットルくらいで、一回目の一〇〇ミリリットルくらいと合わせても五〇〇ミリリットルくらいなので、輸血はしなくてもよいと思います。また、明日以降血液データにて貧血があるようであれば、輸血も考えなければいけませんが、九〇パーセントはしなくてよいでしょう。」との具体的な説明があり、三月四日にも被告病院の医師らが術後出血の原因について説明しているから、原告の右主張は採用できない。

なお、ヘスパンダーの使用についての原告の主張事実は、出血の程度を指摘するにすぎず、止血に関する被告の過失を推認し得る事実ではないから、右の判断を左右するものではない。

三  以上の次第であるから、原告の請求はその余の点につき判断するまでもなく理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 信濃孝一 裁判官 齊木利夫 裁判官 川淵健司は転補のため署名押印できない。 裁判長裁判官 信濃孝一)

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